69. 白雲山観音堂古寺懸仏・銅印
(はくうんざんかんのんどうこじかけぼとけ・どういん)
 白雲山遺跡については、はっきりした文献はないが、往時において、七堂伽藍(しちどうがらん)があったと伝えられている。標高580mの白雲山の南斜面には、現在十数基の中世古墓群(ちゅうせいこぼぐん)があり、町指定史跡となっている。また、260u余の屋敷跡があり、立派な礎石が残っている。この屋敷跡には現在堂(どう)があるが、礎石の配置から往時(おうじ)には相当大きな講堂があったことをうかがうことができる。何時の時代かにこの講堂は焼失し、この建物跡または焼失した建物の灰を捨てたと思われる所から発見された仏像を堂内に安置している。小型4体の懸仏である。この4体は4〜6cmの十一面観音菩薩と薬師如来の鋳造金銅仏であり、焼けあとがある。
 上の4体のほかの1体は平成6年8月この遺跡を町教育委員会が発掘調査中に出土した聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)の金銅仏で、座高9.0cmあり、懸仏の御正体である。
 銅印は、平成5年8月町教育委員会が白雲山遺跡発掘調査中、古墓群(こぼぐん)所在地の一隅から出土したものであり、「福」の字が刻してある。この銅印の用途については、はっきり断定はできないが、相当長期にわたって使用されたと思われる磨滅の跡があり、しかも、普通の印章のように堅い平面へ押されたものではないと思われる。
 この発掘調査において、古墓群所在地からは多数の中世陶器片と人骨の入った古瀬戸瓶子(へいし)や四耳壷(しじこ)・三耳壷(さんじこ)・土瓶(どびん)などが出土しており(25.「白雲山出土陶器」26.「白雲山出土四耳壷」l02.「白雲山観音堂付近出土品」参照)、白雲山遺跡の解明に非常に重要な懸仏や銅印である。