140. 島(野口)出土中国古銭 (しま(のぐち)しゅつどちゅうごくこせん)
1.出土の経緯
 平成8年7月21日、遠藤恒夫(えんどうつねお)が遠藤巌(えんどういわお)の依頼により同氏の旧屋敷跡地の墓地整備のため一帯を整地中、地表から約1mの地中から甕(かめ)に入った状態で出土した。甕は表土の下の赤土の層に、そこの部分には直径7〜8cmの玉石(たまいし)が敷かれて埋められていたという。古銭は緡(さし)の状態で甕に収められていたという。しかし、作業は重機で行われていたので、気付いた時には甕は壊れ、古銭も甕と一緒にあたり一面に散らばってしまい、後から拾い集められた。
 報告を受けた町教育委員会からの知らせにより、翌日町史編集委員が現地を見分した。
 その後、土砂とともに散乱してしまった容器の甕を探したが、底部を中心に10数片を見つけたに止まり、口辺部は終に見つけることができなかった。
 見つかった底部の破片をもとに復元図を作成した。瀬戸市の専門家の鑑定により、甕は室町時代に瀬戸で製作されたものであることが判った。

2.歴史的背景
 この出土銭は、大間見出土銭同様、最も新しいもので1433年初鋳の明銭(みんせん)「宣徳通宝(せんとくつうほう)」、さらに1461年初鋳の琉球銭「世高通宝(せこうつうほう)」があり、埋蔵は当然、この年代の若干後と考えられる。その当時は、東氏が山田の庄を支配していた時であり、また、遠藤家は、東氏に仕えた家臣であったと言い伝えられる家系であることから、この埋蔵古銭を東氏の関わりで捉えるのも興味のあることである。