139. 大間見(友久)出土中国古銭
(おおまみ(ともひさ)しゅつどちゅうごくこせん)
1.発見の経緯
 平成8年5月26日、清水孝広が自宅前の畑地に車庫を建設するための土地整備中、柱を立てる箇所の基礎工事のため地中を掘ったところ、地表から約50cmの深さのところから偶然出土した。容器はなく、その痕跡もなかった。
古銭は、緡(さし)になっていたらしく径50cmくらいの範囲の中に塊まり積んだ形になっており、その上に20cmくらいの棒状になった、緡銭がおかれていて、それが最初に見つかった。

2.歴史的背景
 清水孝広家は、ここに住んで6〜7代目ということであるが、先祖に25代続いた友久(ともさともいう)を名乗る家があり、当時この地の名主(みょうしゅ)的存在の家であったらしい。この友久家は、家の北側近くにあった諏訪神社(すわじんじゃ)の禰宜(ねぎ)を勤められていたとの江戸時代の記録もあり、埋蔵されていた所は往時の友久家の前庭の一部ともみられるという。
 また、この地は往時、現在の白鳥町那留(なる)を経て白山長瀧寺(ながたきでら)、更に越前へと通ずる主要街道があり交通の要衝(ようしょう)であった。従って、この地に中世の関所があったことも考えられる。
 更に、清水孝広家から100m程離れた所にある清浄寺の由緒によれば、この寺の開基、松井新左衛門実本という人は、東氏の家臣だったといわれ、この地と東氏との繋がりも推測される。