127. 剣宿の高札 (つるぎじゅくのこうさつ)
天和、明和年間
 (てんな・めいわねん)
 剣宿の高札・板札(いたふだ)は、剣宿(『大和町史通史編上巻』1,000〜2ページ参照)の高札場に掲げられたものである。
 「高札」とは、法令、禁令などを板の札に墨書(ぼくしょ)し町辻・橋詰などの高札場に掲示したものである。江戸時代の法は公儀御法度(こうぎごはっと)(幕府法)と自分法度(じぶんはっと)(藩法)の2つに大別され、それに伴い高札も公儀御高札(こうぎごこうさつ)と自分高札(じぶんこうさつ)の別があったが、特に重要なのは大高札と呼ばれる5枚の公儀御高札「1.雑事(忠孝・親子)、2.キリシタン、3.毒薬・にせ薬、4.駄賃(だちん)(貫目)、5.火付(火事場)]である。
 金剱神社に所蔵されているものは、まず前記公儀大高札のうちの3枚(1、2、3)で天和2年(1682)5月(徳川幕府5代将軍綱吉、郡上藩主遠藤常友の代)に発せられたものである。
 この他、明和7年(1770)4月に発せられた「徒党禁令(ととうきんれい)」の高札など5枚ある。
 「板札」とは、高札の代わりをし、村役宅などに掲げて常時住民に読ませるようにしたものである。
 金剱神社には、慶応4年(1868)3月に太政官(だじょうかん)が発したものなど4枚ある。