126. 大坪武雄家文書 (おおつぼたけおけもんじょ) |
大坪家文書は、大量の文書から9点が厳選された。大坪武雄家所蔵の「東家系図」にもみられるように、東氏は承久の乱の功で美濃国山田庄を加領されて入部した時、妙見菩薩を勧請したが、大坪家一統はその供をして来て落部に住み着いた。 妙見宮が落部から剣阿千葉(あちば)城下へ、剣から牧篠脇(しのわき)城下へ移っても、同家と一行は落部に住み着いたままだが、明建神社七日祭(なぬかびまつり)りには、氏子としてその神輿担ぎに優先奉仕してきている。 大坪家は一統の筆頭役を勤め、また落部村の庄屋どころとして、しばしば青山藩の大庄屋に任ぜられ、各村からの公事(くじ)を扱って藩庁と折衝した。 従ってその関係文書が多く、代々大切に保存されてきた。しかし当主が戦後復員した時、重要な文書のいくつかは失われていた。そのためか、落部村(おちべむら)の免定(めんじょう)・皆済状(かいさいじょう)などは皆無である。しかしなお残る文書は、当地方史や民俗の一端を知る上で重要なものである。 |