124. 則次敏美家文書 (のりつぎとしおけのもんじょ)
 則次家文書は、すべて郡上藩宝暦騒動(ぐじょうはんほうれきそうどう)関係の文書であり、99点に及ぶ。
 郡上藩宝暦騒動(1754〜58)は足掛け5年にわたるが、『大和町史史料編』には、国立公文書館所蔵文書をはじめ、大量な関係文書が収録されている。藩主金森頼錦(かなもりよりかね)の圧政に決起した郡上農民の一揆と、同時に進行した金森藩の預かり領石徹白中居神社(いとしろちゅうきょじんじゃ)の社人間の争いとを併せて、郡上藩宝暦騒動と言う。『同通史編』にも述べるとおり、江戸期を通じて突出した騒動である。幕府を震撼させ、係わった大名・幕役もことごとく処断された、日本史的な規模の騒動である。
 則次家の先祖東俣村三郎右衛門の住んだ家は、建具は六尺高なので、彼は6尺豊かな大男であったという伝えは真実であろう。その彼が鎖分銅(くさりふんどう)(同家の家宝)を腰に差して、郡中と関・江戸両宿所間を往来し、飛脚という大役を果たした。
 三郎右衛門が江戸宿所の2階にいた時、役人の踏み込みを知らされて、一切の文書を風呂敷に包み、民家の屋根伝いに逃げて帰ったという。同家に伝わる文書がそれである。