121. 明建神社文書 (みょうけんじんじゃもんじょ)
 明建神社(元妙見宮(みょうけんぐう))文書は、「栗栖郷妙見大菩薩縁起」や井上〜青山藩庁に届けられた「祭礼之覚」その他で、57点が選ばれている。
 「祭礼之覚」は元禄6年(1693)のものからあって、内容は今日の祭礼儀式とほとんど変わっていない。今まで厳しく守られてきた宮座制(みやざせい)によるものとして、貴重な文書というべきであろう。
 縁起書(えんぎしょ)(『町史史料編』)は妙見信仰と千葉氏・東氏とのかかわりを知る上で重要な資料と考えられる。
 すなわち縁起は、妙見菩薩に加持祈祷(かじきとう)をする平安密教がからみ、千葉氏・東氏がそこに信仰を傾けていったことがうかがえる。
 ちなみに、東庄(とうのしょう)の東氏城下とみられる所にいま天王神社(てんのうじんじゃ)があり、真言密教の守護神牛頭天王(ごずてんのう)を祭ったものである。近くに妙見菩薩を奉祀(ほうし)して、密教を修法する寺があったものと推測され、縁起書に言う妙見信仰と真言密教の結びつきが実証されるのではないか。