109. 剣中矢田出土水神平式土器
(つるぎなかやだしゅつどすいじんびらしきどき)
 昭和41年、剣の国道建設工事中に水向喜清により発見された。水神平式土器とは、愛知県宝飯郡(ほいぐん)にある水神平遺跡出土の土器をいう。縄文時代の最晩期、愛知県東部や岐阜県南部には、縄文文化の伝統のままに生活する人が、条痕文土器(じょうこんもんどき)をつくっていた。この土器は厚手で、縁にぎざぎざのある貝がらで器面を強く引っかいて条痕をつけることにより器形をととのえるものである。
 ところが、この東海域縄文最晩期の条痕文土器と、東進してきた遠賀川式(おんががわしき)弥生土器が、前記水神平遺跡から同時出土した。すなわち水神平が縄文と弥生の時間的、位置的接点として重視され、この条痕文土器に「水神平式」と命名され、弥生時代へ移る時期の指標の土器となった。
 この後、この土器には「種もみ」などが入れられ、山の道や水系を通り、各地へ稲作が伝播して行くのである。長良川水系をたどった土器は、八幡町穀見(こくみ)―大和町剣―白鳥と発見されている。
 口径20.0cmで、口縁(こうえん)の端は外に折れ曲がり、全周に指で押した跡がつけてある。口縁の内側、外側全面に粗い条痕がある。胎土には砂粒をまぜている。
 弥生文化伝播のようすを語る重要な土器である。