78. 伝 木蛇寺本尊 (でん もくじゃじほんぞん)
 本木像は、木蛇寺本尊と伝えられており、天文(てんぶん)9年(1540)越前朝倉勢が篠脇城へ来襲のとき、戦禍(せんか)をさけて牧の山中(現在仏ケ洞(ほとけがほら)という)へ木蛇寺本尊を移して置いたといわれている。のち大洪水で流れ出たのを拾い上げて、妙見神社本殿に安置した。しかし、明治初年神仏分離令の出された際、神主粟飯原家(あいはらけ)に移され管理されていた。
 昭和初年粟飯原家の都合により、同家の分家土松良三郎が神職を代行することとなり、右仏像を同家へ移し管理していた。その後、たまたま、木蛇寺跡付近に住み、慈永大姉の墓(じえいだいしのはか)や木蛇寺先祖の墓(天保14年建立)を管理している遠藤仁右衛門家(現主・遠藤周一) が、右仏像の世話方を希望し、土松良三郎より同人へ預け現在に至っている。