75. 島七代天神社の大神楽・やわた踊り
(しましちだいてんじんしゃのだいかぐら・やわたおどり)
 
 島七代天神社は、当初現社殿の裏山の頂上に建てられ、壮大な規模のものであった。祭神は天神五代・地神二代といわれている。明治5年(1872)郷社となり、現在は銀幣社である。明治37年(1904)島の大火で類焼したため、当社御神体を始め禰宜宅(ねぎたく)等資料一切を焼失してしまったので、大神楽・やわた踊りに関する由緒(ゆいしょ)、由来等すべて不明になった。ただ江戸時代に当地島から現白鳥町二日町へ「やわたおどり」を教えたということを、当地や二日町の古老が言い伝えており、『白鳥町史史料編』の「法幢坊文書(ほうどうぼうもんじょ)」にも出ている。神楽は「道行き」によってはじまり、神社前の舞台へ打ち込む。太神楽の順序は、1番 場ならし、2番 山のうえ、3番 大まか、4番 まざり、5番 やわた踊り、6番 こまか、7番 後ばやし、言い立てがなく笛を吹きついて「帰り岡崎」の曲に入り、入場の時の順序で帰りの道行きとなる。
 大神楽の獅子が、お宮に入場する時の猛々しさとはうらはらに、終日舞い踊りたのしんだお宮に、身振り優しく別れを惜しむ獅子の舞い振りは、一世一代(いっせいいちだい)の入神(にゅうしん)の技で、大神楽の圧巻(あっかん)である。
 「やわた踊り」は、「大やっこ」4名と「小やっこ」8名の計12名の役者が、8名の「歌うたい」の歌と、小太鼓、笛、鼓の伴奏に合わせて舞台の上で踊る。歌詞は由緒も意味も不明であるが、極めて情緒的で、踊りと同様に優雅である。この「やわた踊り」は、大神楽の舞の間へ入り、一体となって舞われる。これは当社独特のもので、他にあまり類例がない。