73. 明建神社の七日祭り (みょうけんじんじゃのなぬかびまつり)
 明建神社は、東氏代々の守護神である妙見大菩薩(みょうけんだいぼさつ)を、13世紀に下総国(しもうさのくに)から勧請(かんじょう)し奉祀(ほうし)して来たと伝えられる神社で、往古(おうこ)から毎年7月7日(現在8月7日)に例祭が執行されて現在に至っている。この祭りは、七夕(たなばた)に因(ちな)んだもので、780年前東氏が下総国にて奉納したときに始まったと伝えているが、現存する資料としては、現在明建神社に保存されている、元禄6年(1693)奉行所へ届けた「祭礼執行之儀式」の下書きが最も古い。
 この祭礼の奉仕者のほとんどが宮座制(みやざせい)であり、往時から現在に至るまでそれが守りつづけられている。また、この奉仕者は祭礼執行の1週間前から潔斎(けっさい)し、神事は極めて厳粛に執行される。なお、この奉仕者のうち神輿(みこし)を担ぐ4人の者は、落部区(おちべく)(往時の落部村)在住の氏子が奉仕することとなっており、この落部区の4人が参加しない場合には神輿は動かないといわれている。
 神事が終ると300余m先の「神帰り杉」の下まで渡御(とぎょ)が行われるが、この行列が「神帰り杉」の下で帰路に向きをかえた途端に、行列中の大獅子が猛り狂い大暴れする場面がある。また、帰途大鳥居の下を過ぎた所の広場で「神前の舞・杵振り(きねふり)の舞・獅子起(ししお)こしの舞」が奉納されるが、この三つの舞はまことに素朴な舞いで、古い日本芸能である「田楽(でんがく)」の形を残していると言われている。