67. 東林寺跡出土懸仏・和鏡 (とうりんじあとしゅつどかけぼとけ・わきょう) |
牧元兼(もとがね)に「東林寺跡」と伝えられている場所がある。東林寺とは東氏一族によって建立(こんりゅう)された寺である。応徳寺所蔵の「牧村元金(もとがね)掘出仏由来書」によれば、宝暦9年(1759)7月14日、元兼の地主彦右衛門が霊夢により発見したという。領主の指示により、8月15日応徳寺恵隆に預けられた。前記由来書は恵隆の筆になるのであるが、この記録と、懸仏6体(1体は毛彫(けぼり))、和鏡2面、破損鏡面の部分が今日まで伝わっている。 十一面観音菩薩懸仏(かけぼとけ)(毛彫、径21cm) 銅円板に鍍銀(とぎん)した鏡面に、十一面観音菩薩を毛彫りしたものである。素朴な線で彫られており、平安末期のものである。圏縁が無く、吊手耳(つりてみみ)は素朴で小さく、古い形式である。 十一面観音菩薩懸仏(径21.5cm) 圏縁に鍍金(めっき)があり、鎌倉期のものである。 阿弥陀如来懸仏(径16.0cm) 鏡面と仏像の間に、平板で火炎の形をした光背が取り付けてある。鎌倉期のものである。 十一面観音菩薩懸仏(鏡面なく仏像のみ) 仏高18.0cmで、垂髪(たれがみ)、きびしい表情で、全体に鍍金がよく残っている。 観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)と勢至菩薩(せいしぼさつ)の懸仏(鏡面なく仏像のみ) この懸仏は同作者による1対のものと考えられる。仏高8.5cm、室町時代初期のものである。 和鏡(州浜草花双鳥鏡(すはまくさばなそうちょうきょう)、径10.5cm) 和鏡(流水山岳双鳥鏡(りゅうすいさんがくそうちょうきょう)、径9.3cm) 2面の和鏡は単圏で菊座鈕(きくざちゅう)がつけてある。室町初期のものである。 その他、破損した鏡面の裏板と圏縁の部分である。 東氏の系図にも記入されている東林寺跡の出土物で、中世の大切な資料である。 |