51. 名皿部白山神社本殿 (なさらべはくさんじんじゃほんでん)
 この本殿は安永(あんえい)6年(1777)9月20日の建立である。その後220年以上経過しているが、破損がないのは代々の氏子の保守管理がよかったためであろう。
 大きさ、間口2.16m、奥行2.15m、総高4.06m。木造神明流造(しんめいながれづくり)で銅板葺(どうばんぶき)である。
 本社の由緒は、下広三郎兵衛が慶長(けいちょう)年間(1596〜1608)小谷洞(おだにぼら)の山の尾根に一宇を建立し、延宝(えんぽう)年間に現在地に遷座したという伝承がある。棟札によると明和3年(1766)9月15日に建立し、安永6年再建(さいこん)し、現在に至っている。なお、明和3年の棟札には「奉造立県大明神(あがただいみょうじん)御社壱字(いちう)」とあり、安永6年の再建(さいこん)棟札(むなふだ)には「奉再建白山大権現社(さいこんたてまつるはくさんだいごんげんしゃ)」とあって、いずれも禰宜(ねぎ)は三郎兵衛である。明和3年から安永6年の間に県神社がなぜ白山社に変わったのかは分からない。
 当神社は拝殿のすぐ上に多賀神社があり、さらに参道を50mほど登ったところに、この白山神社本殿があるが、昔から多賀神社から上は女人禁制(にょにんきんせい)の不文律(ふぶんりつ)があって、今でもこれが守られている。