22. 黒岩弘巳家の三耳壷と古銭 (くろいわひろみけのさんじことこせん) |
昭和43年5月、万場字野尻の黒岩家旧宅地を開田中に、地下約70cmの位置から出土した。当時この土地には、旧宅の軒下にめぐらせてあった端石(はいし)が残っていた。三耳壷には、斯き瓦器(がき)の破片で蓋がしてあったようで、中には約3000枚の古銭が麻苧(あさお)に通して入っていた。 壷の高さは27.0cm、口径11.0cm、底径10.5cm、最大胴周り64.0cm、頸の高さ3.5cm、口造り厚さ1.0cm、胴は3段接(は)ぎの三耳壷である。肩はなだらかで、灰釉(かいゆう)がなめらかにかかっている。 三耳壷の中にあった約3000枚の古銭は、一部散逸し、指定時現在2,465枚保管されている。調査によると全部中国銭で別表のように、唐・周・北宋・南宋・蒙古(もうこ)・元の代までが揃っている。 三耳壷は鎌倉末期から室町初期の短かい期間に製造された。またこの中の古銭には明銭(みんせん)が1枚も入っていないので、これは東家、応仁2年(1468)の斎藤氏篠脇城侵攻(しんこう)、当時の貨幣経済など不安定な社会情勢と何らかの関係をもつ古銭かも知れない。 |