120. かんじょう寺跡出土古瀬戸灰釉瓶子 (かんじょうじあとしゅつどこせとかいゆうへいし)
 昭和44年11月、牧地内明建神社から東へ約130mにある、かんじょう寺跡と伝えられている地点を開田中、山ぎわ地下約1mのところから出土した。同時に出土した1点には人骨が入ったまま破損していた。
 高さ25.0p、胴最大径16.0p、底径8.0pで、肩に4条浅くて細い沈線(ちんせん)を巡らし、その上から黄緑色の灰釉(かいゆう)をかけている。
 この瓶子は、口縁部(こうえんぶ)を欠くほかは完形。胎土は白色で緻密(ちみつ)、焼成も良好である。肩が張り、下胴部が直線的に細くなり平底。この形状から鎌倉後期のものと思われ、関市笹洞古窯(こよう)あたりの産と考えられる。白鳥町長滝で出土した国重文古瀬戸黄釉瓶子と同類のものである。
 出土地かんじょう寺跡とは、東家ゆかりの寺跡で、周囲には五輪塔の残欠も存在し、この出土地から西方約100mにある妙見宮(みょうけんぐう)の別当寺と伝える尊星王院跡(そんせいおういんあと)(四耳壷(しじこ)出土)と共に、中世の寺院配置と東氏との関連などを語る重要な瓶子である。