17. 福田古墳と出土品 (ふくだこふんとしゅつどひん) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
島地内福田から洞口(ほらぐち)へ通ずる町道の傍にあり、昭和30年11月28日村道改修工事の際、石室(せきしつ)の石材に掘りあたり発見した。この地は古くから開墾され階段状となり、下段は水田で古墳の封土(ほうど)は長年の耕作で取り去られていた。2基並んであったので、北東のを1号墳、南側のを2号墳と称することにした。この発掘調査は名古屋大学澄田教授の指導によって実施された。 1号墳 石室は付近で産出する花崗岩系の山石を用いた横穴式で、玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)の区別がつきにくい「袖無し型式」である。南東向き石室は長さ5.3m、奥璧幅1.9m、前方は1.11m。奥壁は2枚の扁平石(へんぺいせき)(高さ91.0cm)を立てていた。側壁は多数の石を積み、石室全体の実高は1.5m以上あったようである。 石室内は一面に径15〜20cmの扁平な川原石で敷きつめられ、さらに花崗岩と安山岩の扁平に近い石で組合わせた石棺を設け、この石棺の床面は5枚の扁平な川原石が敷かれていた。 2号墳 2号墳は新設道路の下に埋没。石室の入口は南東向きで、全長4.2m、幅1.7m、奥壁は3枚の扁平な1.4mの石が立ててあったが、側壁は高さ約30cmを残して破壊されていた。床面の敷石は少なかった。 |
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出土品 <1号墳> 土器類
装身具
金属製品
<2号墳> 土器類
装身具
石製品
金属製品
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福田古墳は6世紀中ごろのもので、副葬須恵器は種類がセットをなし(坏身と器台を欠く)時期的まとまりをもっている。このため「福田期」と命名され、須恵器編年の指標(しひょう)となった。さらに美濃平野部に群集墳(ぐんしゅうふん)形成以前、奥長良地域に古墳が発生していたという、岐阜県古代史に重要な手がかりを与えた古墳である。 |